和を重んじない考え方。和は実は社会悪

和をもって尊しなす。

日本の美徳として、日本ではこの概念は良しとされますよね。ただ、この概念は今の日本経済にとってはかなりマイナスです。

和をもって尊しという考えかた、逆に和を乱す人を悪としています。

「そんなの当たり前ぢゃん」

と思う人は、まあ私に言わせると思考の停止ですね(´・ω・`)

和を乱すことが悪ということは、個人の考えを尊重できないことの裏返しでもあります。つまり、

・集団において個人は尊重されない

・多数派にあわせなければいけない

という考えなんですよね。

これは思いっきり少数派の排除にほかならないです。

少数派の排除することの最大のデメリットは、

・多様性が産まれない

これにつきます

正直、日本が中々経済成長できない理由はここにあると思うんですよね。

日本から、アップルのようなイノベイティブな企業が中々出てこない背景には、こうした個を認めない風潮が強いことな、かなり足枷になってます。

これが極端に現れるのが

・学生の挙手

キョロキョロと辺りを見回し、皆が手をあげてるか、どうか確認してから自分も挙手するか考える→自分の行動の意思決定を他人に委ねている

・会社の会議の発言

参加するだけで、何も言わない。というか言えない。村長さん以外の人が目立ったことを言えば、後ろ指を刺されることになる。

まあ、こんな状況なので、個々の考えが陽の目を見ることが中々に難しい状況です

逆に、周囲を気にせず意見述べたり、行動したりすると、和を乱すやつ という名のレッテルはりをし、その人を攻撃します。

出る杭は打たれるってやつですね。

繰り返しますが、こんな環境であれば多様性は産まれません。

なので、これからの重要な考え方は

・違いを認める

まず、ここからスタートでしょうね

違いを認めることで、初めて真の意見交換ができ、互いに実りある情報交換ができます

そして違いを認めることで

・バラバラな個の集団ができる(バラバラな和)

が産まれます。

バラバラな和ができることで、初めて多様性の産まれる集団となります。

経済成長やら生産性をゴールとする場合、これからは和を捨て個を認める集団にしないと、変化はできないだろうね。